fraction

日々何となく考えてる事を置いておくところ

abstraction

今日も終日、仕事をしていた。バスを降りた時刻が閉店時間数分前だったのでスタバは諦めた。朝食用のサラダをコンビニで買い帰宅。以上である。平穏無事である。

 

食事は社食で済ませてくるが、内容がしっかりしているので安心だ。肥満治療経験者が評価しているので確かだ、と言ってみたのは同僚一人のみである。周囲に言いふらす必要は無い。見た目はただのダイエットだったのだから。

 

会社から感染防止のルールが明言されているので、これも安心の一部分だ。私が外食先で感じる不安要素は悉く禁止事項である。何故か禁止事項という言葉だけで反発する人がいるみたいだが、内容を理解すればいいだけの話だ。自分達を守る為の防御壁である。気合と根性が必要な時もあるが、それは感染してから使えばいいのであって、感染する前から気合を発散しなくてもいいのではないかと思うのだが。掛からないのが一番である。何故、無駄な戦いを挑むか不思議だ。

 

タイマーをセットしておいた洗濯が終わっているのを確認した。今夜はコラージュには触れないで身体を休めるのを優先する。雑多なデスクの上を眺めて、早くコーディング用のスペースを作ろうと思った。

 

コーディングもコラージュ作りも、どちらも大好きだが、相反している性質のものだよなあと思う。コラージュを見せている人には、私のコードは理解できなかろうし、コードが分かる同業者にコラージュを見せてもポカンだろう。綺麗だねと言ってもらえたら御の字である。どちらもabstractionが工程に入ってくるのだが、同じ言葉でも通じないこと夥しい。分かり合えないと言い切られたので、そういうことにしておこう。私は手を動かして作れればいい。